시작이 반이다.

思い立ったが吉日。

ESQUIRE 5月号 - JONGHYUN

 

 

「青い夜、ジョンヒョンでした」
キム・ジョンヒョンをどうすれば良いだろうか。

 

シン・キジュ(以下 シン):僕にはこれからもずっと<青い夜>をやると言っていましたが、一体どういうことでしょうか?

キム・ジョンヒョン(以下 キム):罪悪感に襲われて生きています。

シン:多くの方が残念がっています。4月1日土曜日、昨日が僕たち「ミッドナイトスポイラー」コーナーの最後の放送でしたね。このインタビューが終わったら、まっすぐ上岩洞に移動して<青い夜、ジョンヒョンです>の最後の生放送をしなければいけませんし、午前0時までもうわずか3〜4時間になりましたね。

チョン・ウソン(以下 チョン):リスナーたちもファンたちもみんな心の準備をしている時間ですね。「쫑디(チョンディ)」を見送る準備を。

キム:僕が放送で先にお伝えしましたからね。それがリスナーに対する礼儀だと思いました。毎晩午前0時に放送する番組なので、突然僕がいなくなることに戸惑うこともあるかもしれないじゃないですか。<青い夜、ジョンヒョンです>を聴きながら、1日を締めくくっていたリスナーの方もたくさんいまたから。心を決めてからはかなり長く経ちました。昨年末からだったでしょうか、周りの方たちと相談してちょうどよい時期を決めようとしたので、少し時間がかかりましたね。

チョン:締めくくる期間は情緒的で辛そうに見えました。「毎日お別れしながら生きているんだな。」という気がしました。ジョンヒョンさん本人の歌を覚悟を決めたように、たくさん聴かせてくれ始めましたよね。1日1日がお別れの放送ではなかったのかな、と思います。今日が本当にお別れする日ですが。

キム:放送とお別れを決心してからは、1日1日が本当に貴重でした。だから午前0時の時間帯に似合ういちばんロマンティックな歌をよく選曲しましたね。大切な瞬間に大切な相手へ音楽を贈るように。それが僕なりのお別れの方法だったようです。

チョン:穏やかでジェントルな放送でした。

キム:そればかりではありません。シン記者さんは、僕の性向をよくご存知のはずですが…。

チョン:この方ですか?映画、経済、経営、建築、政治、インタビュー専門記者さん!いや、どうして本人をそんなふうに紹介できるでしょうか。記者生態系をそんなふうに汚してもいいのでしょうか?なんとジョンヒョンの口を借りて!シン・キジュ記者さんがこんなふうに紹介して欲しいとせがんだんでしょう?正直に言ってください、僕にだけ。

キム:はは、記者さんは<青い夜、ジョンヒョンです>で、「ミッドナイトスポイラー」という土曜コーナーを担当していらっしゃいます。映画紹介コーナーです。最初からそんなふうに挨拶を交わし始めて、それがシグネチャーのように定着したんですよ。

チョン:だから、強要によるものではないのかと。

シン:正直、今度そんなふうに紹介してくれなかったらちょっと寂しいんですよ。

チョン:強要で合ってましたね。僕の思った通りでした。

シン:そんなふうにキャラクターが決められたらどうしましょう。

チョン:決められたのではなく、決めたんじゃないですか!ともかくおふたりは3年以上、土曜の度に会っていらっしゃるでしょう。本当に名残惜しそうです。

キム:僕が<青い夜、ジョンヒョンです>を始めたのが2014年2月だったんですね。その時から守ってきたコーナーがまさに「ミッドナイトスポイラー」です。

チョン:いや、一体何でしょう?

シン:「何でしょう」ですと?PDさんたちも変わって作家さんたちも変わったんですが、僕は毎週土曜のたびに生放送をしながらDJジョンヒョンの隣を守ってきたってことですよ。

キム:正直に言うと、生放送ではなかったじゃないですか。3年間で生放送は3回とかしたかな?

チョン:こうだからですね。とにかく取材してみたら全部、僕がこんな人を編集長に置いて仕事をします。

キム:すごく疲れそうですね。


シン:僕たち<青い夜、ジョンヒョンです>の最後の生放送を目前にインタビューしてるじゃないですか。ジーンとした雰囲気だったんですが、どうして突然こんなことになったんでしょう?昨日の生放送が終わってからは、僕たちだけでお互いを抱き締めてあげたじゃないですか。

チョン:雰囲気を変えてみようと同情心を誘っていらっしゃいますね、編集長さん。映画、経営、インタビュー、同情心誘発専門記者さん。

シン:(無視)これまで3年間見守ってきたキム・ジョンヒョンは、すごくすごく忙しい人でした。昨日は日本、明日は中国、明後日は東南アジア、次の週には南米まで行かなければならない韓流スターでしょう。それでも深夜ラジオ放送のスケジュールを地道にこなしていました。僕はその動力がいつも気になっていました。

キム:僕の人生でターニングポイントは何だったのだろうかという質問を受けることがあります。その度に高1の時、中退した時だと答えます。SMに入ったことでもないですし、音楽を始めたことでもないです。中退を決めて、不特定多数が生きていく人生から抜け出して、自分自身を放ったんです。2つめのターニングポイントがラジオだと言えますね。デビューした瞬間より、本を出した瞬間よりも。

シン:どうしてですか?

キム:僕は偏狭な視点を持っていたようです。何かに惹かれると、目隠しでもしたようにそればかり見つめる性向があるんです。生まれ持った気質ですね。でも、ラジオをやりながら世の中を見つめる角度が広くなりました。中退する瞬間がそうだったように。

チョン:ラジオがどのようにキム・ジョンヒョンという人を広げてくれたのでしょうか?

シン:シン・キジュに出会った?

チョン:(無視)ラジオをする前と後はどれくらい、どのように変わりましたか?

キム:まず間接経験がものすごく増えて、僕の芸術的表現能力も伸びました。人生の幅から広くなりましたし、僕はファンタジーなものたちをものすごく好きなんです。シン記者さんはご存知のようにヒーローものもものすごく好きですし、ひょっとしたら僕はいつもファンタジックで童話的な世界で生きていたのかもしれないです。ラジオをやって日常的な話も理解できるようになりました。僕が経験してみることができなかった会社生活だとか、アルバイトのようなもの。根掘り葉掘り聞いた人生の話。今日会社でミスをして上司にひどく叱られて疲れて辛かったとかいうもの。ラジオというメディアはそんな話がなければ進行は不可能ですし、またそんな話を根掘り葉堀り聞いて話すことができる唯一のメディアです。そうすると僕が想像もできなかった不特定多数の人生を垣間見ることができるようになったんです。

チョン:お話を聞いていると、ジョンヒョンさんが作った歌<1日の終わり>が思い浮かびますね。「ぴったりと君を抱き締める浴槽のお湯のように」という歌詞。

キム:<1日の終わり>は、本当に<青い夜、ジョンヒョンです>をやったおかげで書くことができた曲ですね。

シン:お疲れさま。本当にお疲れさまでした。君は僕の誇りでしょう。

チョン:やめて、そのくらいで!

キム:(笑)初めは毎日規則のようにマイクの前に座らなければならないということを負担に感じていました。そんな規則がある人生から抜け出そうと中退しましたし。そんな生活は辛くてすぐに疲れます。僕の気質と合わないんです。でもラジオを選んで、1週間くらい過ぎた時だったでしょうか、毎日同じ時間にスタジオという空間にいるという感覚自体がすごく良いんです。就職して会社に通うような気分といいましょうか。芸能人という職業自体がすごく不規則じゃないですか。毎日外回りするように生きていく職業ですが、ラジオをすると毎日出勤をするようになるでしょう。

チョン:息苦しさと安定感が同時にやって来たみたいですね。

キム:簡単ではなかったです。慣れない環境に触れると拒否反応から来るじゃないですか。僕は旅行に行くことも好きじゃないです。休みの時も家にばかりいるのが好きですし。僕が理解できる慣れた空間にあるものを好むほうなので。でも、ある瞬間からラジオスタジオがすごく楽になったんです。

シン:どのくらいかかりましたか?楽になるところまで。

キム:8ヶ月くらいだったと思います。その頃から放送しながら顔色が真っ赤になったり真っ青になったりすることがちょっと減りました。制作陣とも気楽になりましたし。助けもたくさん貰いましたし。

チョン:シン・キジュも助けになりましたか?まさか?

キム:世の中の人々が好きだというものを一緒に嫌いだと言う。歪んだ思考を表す。拗らせている心を曝け出す。

チョン:悪いお兄さんですね。

キム:ふたりが同じ性向なのでよく合います。シン記者さんはどうですか?

シン:本当にある瞬間からでしょうか、ふたりは馬が合い始めましたよね。ジョンヒョンさんがマイクの前で楽になっていく中で、ラジオスタジオがリビングのようになりました。その時からすごくジョンヒョンさんの家に遊びに来るように<青い夜、ジョンヒョンです>に来ました。悪いおじさんと甥っ子あるいはお兄さん、弟あるいは友だちだけで、映画1編を置いて大声で騒ぐように放送をしましたし。ご存知のように、僕はSHINeeのジョンヒョンというアイドルスターに対する概念が全くないまま合流したじゃないですか。会ってみるとアイドルだね、もう一度会うと韓流スターだね、そんなものだったんですよ。むしろあとからジョンヒョンさんのソロ公演を見て驚きましたね。ステージ上のジョンヒョンは、マイクの前のキム・ジョンヒョンとまた違うんだなと思って。初めはステージ上のSHINee ジョンヒョンがすごく見えましたが、あとからステージ上のSHINee ジョンヒョンを打ち破って僕の前に座っているキム・ジョンヒョンという人をさらに感心するべきだと思いました。

チョン:本当におじさんのように話されますね。

キム:感激しますね。

シン:これまでの3年間でキム・ジョンヒョンが、成長して世の中とコミュニケーションを取る方法を学んで大人になっていくのを見守ってきたような感覚。

チョン:もう泣かないでください。今、目がすごくうるうるしていますよ。3年前のジョンヒョンに出会ったら、違う人みたいだったんでしょうか?

キム:絶対にそうです。僕が3年前に戻って僕に会ったなら、確実に違う人だと感じると思います。現実では不可能なことですが。

シン:SHINeeの他のメンバーたちはラジオをやるジョンヒョンを理解してくれましたか?

キム:大変そうだという話をたくさんしましたね。心配してくれるメンバーもいましたし。キーが特に心配をすごくしていました。健康面の心配もたくさんしてくれましたし。


シン:生放送は特に魂が奪われるじゃないですか。夜中の12時から2時まで生放送をして家に帰って来れば、疲れるしかないでしょう。それでもジョンヒョンは、世の中と会いにラジオスタジオへ来てたんですね?

キム:もしかしたらラジオに逃げていたのかもしれません。僕は外に出るのがあまり好きではないんです。人とたくさん会うのもあまり好きではないですし。新しい何かをすることも怖がります。ラジオはもう僕の空間のようでした。違和感なく新しいことに出会える逃げ口になりましたね。

シン:見慣れない世界が見慣れた自分の空間に流れ込むんですね。

キム:精神的な逃げ場になりましたが、肉体的な疲労感を感じさせてくれる愛憎の空間だったように思います。

シン:そんなに不慣れな空間で辛そうな人が、ステージではどうしたらそんなにバサッと見事に脱いでしまうのか。毎日リビングで映画の家庭教師をしてあげていた弟だったのに、ある日ステージで見ると筋肉質のスタイルを自慢していたというか。

キム:それが芸能人という職業の大きな武器であり、短所であると思います。シン記者さんは僕がどんな人なのか、人間的な部分までかなりたくさん理解している方の中のひとりでしょう。そうやってキム・ジョンヒョンを理解していますが、歌手としての僕の姿を見るとまた違うものですよね。未熟でぎこちなくて驚いて。その姿を見ながら、キム・ジョンヒョンはステージ上でキム・ジョンヒョンをこんなふうに作り上げていってるんだなと思ってくださったらありがたいです。

シン:どちらが本当のキム・ジョンヒョンなのか、考えてみても同じですね。

キム:どちらも本当のキム・ジョンヒョンでしょう。ただ、僕がどちらがより楽かが重要だと思います。以前は、歌手キム・ジョンヒョンがちょっと楽だったと思います。そんなキム・ジョンヒョンのイメージが先に現れるので。僕にとっても慣れたことなので。でも、ラジオを始めて変わりました。人々に僕も人間だということを表現し始めて、ラジオを通じて見せてあげるキム・ジョンヒョンの姿もとても楽になりました。<青い夜、ジョンヒョン>のおかげで小品集発売もできましたし、小劇場公演もできました。

シン:人々にもっと内密に近付くことができるようになったんですね。

チョン:ラジオが本当にものすごい役割をしましたね。聞いてみると。

キム:もうちょっとしたら小品集エピソード2が出ます。これからそんな形で2種類のアルバムを出します。ちょっとファンタジーっぽくてパフォーマンスが可能な音楽と小品集に収録されている曲のようにバラードとジャズと若干アコースティックな感性が詰まった音楽。

シン:SHINeeのキム・ジョンヒョンと<青い夜>のキム・ジョンヒョン。

キム:もしかしたらSHINeeの音楽の中の僕が理想化された姿ならば、小品集の音楽の中の僕はもうちょっと日常的で人間らしい姿ですね。これからもっとハッキリとそのふたつを区別していくつもりです。


シン:アイドルは名称のように理想化された存在じゃないですか。人々が好きになるしかないほどに理想的で、醸し出される美しい存在。そんな存在になることは難しいので、まずそんな存在として作り上げれば、当事者はアイドルという表皮を脱ぐことに怯えるしかないですよね。当然、安住したいでしょう。ジョンヒョンが自分自身を曝け出して世の中と出会いたいという意思を持つほどに、周りではむしろ不安に思うこともあります。

キム:正直、狂った真似でしょう。

シン:それなのにどうして?

キム:それでもやるしかなかったのは、傷付いていたからです。芸能人として負った傷だけを話しているわけではありません。生きながら負った傷。生きていきながら得た傷。僕がよく使う表現では成長痛。人がグッと大きくなってしまうと、肉割れができるじゃないですか。僕も腰に肉割れがあります。幼い頃に、人はどうして大きくなるのだろうかと考えたことがあります。こんな肉割れを見るのが嫌で。幼い姿そのままだったならば、こんなに見るのが嫌な肉割れはできなかったはずなのに。成長痛もなかったはずなのに。どうしても成長しなければならないのだろうか。

チョン:その時からすでに哲学者だったんですね。

キム:幼い姿からあり得ないことについて夢想家のような想像をよくしました。答えも出ない哲学的な悩みに没頭しましたね。人が苦痛を受けながらも成長していくのは、生きるためだと思います。生きるために、自分自身に傷を付けて苦痛に耐え忍ぶということでしょう。僕もやはり成長しようと傷を負いましたし、その傷を曝け出す必要があったということでしょう。

シン:アイドルという職業を選択して、他の人より急いで成長したでしょう。痛いことも、肉割れができて傷跡が残ることも知らないまま。それを隠して痛くない存在であるふりをすることもあったでしょう。逆に傷を曝け出して本当に世の中を生き抜くこともあったでしょうし。

キム:ただ生きたくて、生きるために僕自身が僕をちょっと壊したようです。

チョン:生き残るために、生き抜くために、どちらが近いですか?

キム:僕は基本的に悲観的な人間なんです。幼い頃から憂鬱さをすごく出していましたし、今も変わらないです。でも、いつまでもそんな憂鬱さを維持しながら生きていくことはできないと思います。人生の初中盤まではそんな憂鬱さで生きることもできるでしょう。成長しようとするなら、そんな憂鬱さを捨ててこそ生き残ることができます。僕自身に閉じ込められて死なないためには苦痛でも成長しなければなりませんが、怖がってやめてしまえば結局幼い精神で止まるしかないです。僕自身を変化させる選択をしました。僕の姿を大衆に曝け出すこと。僕の考えを理解させようと努力すること。僕はこんな人間だということを人々に知らせて、彼らが知っているということを僕が知っていれば、僕は防衛態勢を取るでしょう。

チョン:もっと積極的なコミュニケーションを取るためですか?

キム:そうというよりは、これが僕だということを認めてほしいということに近いです。シン記者さんと放送でも話したことですが、人間は結局自身がどんか人なのかをこの世に残すために生きていくんだと思います。自分自身が本当は誰なのか示すべきだということでしょう。

シン:「ミッドナイトスポイラー」初放送で取り上げた映画が<ダークナイト>シリーズでした。最後の放送で取り上げた映画も<ダークナイト>シリーズでしたよね。首尾相関でした。<ダークナイト>は、ブルース・ウェインという人物がバットマンというアイドルを作って人々に象徴化する物語でしょう。バットマンで象徴される何らかの価値を構築すること。そんな過程がアイドルが生きていく方法と似た面があると放送で話したじゃないですか。大衆にどんな存在で認識させて、その存在の皮を捨てて、本当の自分になって旅立つこと。もちろん、ある人は永遠にそんな大衆の存在として残ろうとじたばたするでしょう。他の人は自分自身が作った象徴を自分自身で打ち破って本当の自分に帰ります。僕はキム・ジョンヒョンは後者だと思いました。アイドル界のダークナイト

キム:僕が人間らしく見えたらいいなと思ったりもします。人としてということです。芸能人は、ひとりの人間というよりは何らかのキャラクターで表現されて理解される場合がはるかに多いじゃないですか。少なくとも僕は人間としても生きているという僕なりの答えのようなもの?そうやってひとりで雄弁しているものだと思います。

チョン:僕にはどうして何度もこんな感情が起こるんだろうか、どうして書いたり歌わなければ生きていけないんだろうか、こんなふうに悩んでいたら、結局は生き残るために今のように生きているということですか?

キム:もう僕の職業だと思っています。僕の職業は、僕が持つ能力の中ではいちばん良い才能で。僕は好きなことよりは得意なことをするほうが良いと思うんです。

シン:好きなことが得意ではないんですか?

キム:実は僕が本当に好きなことは、プロデュースして文章を書くほうです。

シン:そういえば、今のその指輪はいつも付けていた指輪とは違いますね?

キム:この指輪は僕たちのコンサートで発売したグッズです。

シン:いつも付けなくても持ち歩いていた指輪がありましたよね。

キム:それは外しました。この空間に慣れなくて、この指輪を付けているんです。

シン:それも人間的な傷?

キム:(笑)成長の過程?

シン:正直、ラジオを手放して傷が大きくなるんじゃないかと心配になりますね。

キム:僕が一身上の都合でラジオをやめると話してるじゃないですか。一身上の都合だと言うのは、これ以上理由を聞かないでほしいという丁重な拒絶の意味だとも思います。それでも一身上の都合が治ったら、もう大丈夫だという気がしたら、僕を訪ねてくれる人がいるなら、帰って来たいです。

シン:初めてSHINeeのメンバーたちに会った時を覚えてますか?

キム:その頃だったと思います。中学校3年だったその時。

シン:結成したものではなく、会社で作ったものじゃないですか。

キム:5人が一緒にデビューすると知らせを受ける立場でしたね。

シン:当時としては、ここまで長く一緒にやるとは思わない状況だったはずでしたし。その時こそ、運命的な瞬間だったと思います。

キム:僕たちは運命共同体ですね。家族のような。デビューしたら僕の家族なんです。デビューしたら僕のチームなんです。もちろん、この会社に入ったのは僕の選択でしたが、それ以外にあったさまざまなことは僕の選択というよりは助言者たちの決定による結果でしょう。もちろん、僕が選択しなければそうはならなかったでしょう。その方たちに対する信頼がありましたし。僕は実際、周りの人たちからたくさん影響を受けるケースはないです。当時も「この子たちと同じチームをやるんだな。」と思いましたし、ただ「デビューするんだな。」くらいに思いました。

シン:淡々としていましたね。

キム:もちろん、誰とデビューするのかは重要でしょう。しかし、幼かったのでそこまで考える余力がなかったです。自分ひとり世話することにも忙しくて。誰かに被害を与えたくないという脅迫や、僕の役割を正確にしなければならないという脅迫がありましたね。自分自身が未熟だと感じていたので。

チョン:いろいろな面で本当に長兄のようですね、ジョンヒョンさんは。

シン:SHINeeという名前は気に入りましたか?

キム:深く考えてみる暇がなかったです。ただデビューが決まって、練習を始めた瞬間から劣等感に襲われたんです。僕が好きで夢見たアーティストに対する劣等感というんでしょうか。誰かはクリス・ブラウンと君をどうして比べるのかと言うはずですが、僕にとっては慰めにならないです。僕の個人的な判断が重要ですから。それが僕をいちばん大きく発展させた原動力ですから。僕の憂鬱さや劣等感がいつも僕を支配する感情でした。

シン:今、文章を書いているんでしょう?

キム:スリラー小説。前回は恋愛小説を書いたんですが、それは僕が求めていたジャンルではないです。僕は、恋愛の話はあまり好きじゃないんですよ。

チョン:スリラーが好きですか?

キム:いちばん好きなジャンルです。僕をよく表現できる部分ですし。

シン:文章は孤独じゃなければいけません。やはりジョンヒョンは両面的ですね。自分の中に深く潜んでいるキム・ジョンヒョンとステージ上で華やかに輝くキム・ジョンヒョン。


チョン:ちょっと前に<青い夜、ジョンヒョンです>を聴いていたら、泣きそうになりました。ジョンヒョンさんは泣いていましたし。<青い夜>を初めてスタートする日、退職したお父さんと家族みんなで焼肉屋をオープンしたというメッセージでした。ようやくお客さんが会計をして店を閉めた時、もうそろそろ休もうかと思った時、ちょうど聞こえた放送が<青い夜>初放送だったんです。その日から、その方は1日を終えてジョンヒョンさんの放送を聴きながら休むんです。そのメッセージは覚えていますか?

キム:リスナーたちには話せませんでしたが、その時すでに僕は降板を決めたあとでした。そうしているうちに申し訳なさがずっと大きくなりましたし、それで涙がすごくたくさん出ました。なぜかというと、その人々にとってどんな意味なのか僕は分かっていました。僕にとってもそれほど大きなことなので。ずっと話していましたが、僕は申し訳なくて罪悪感に襲われているんです。でも、これは性格のせいでもあります。丸い性格ではなく棘がある性格のなので、そんなメッセージに出会った時の自分自身に対する叱咤。どうしてもっとできないのか。どうして自分が言った言葉にもっと完璧に責任を取れないのか。そうしているうちにすごくもうちょっと…。

チョン:全部伝わりました。

キム:それでこんな文章を書きました。「どうしたら良いだろうか、こんなに大きくなった僕の空間を。」この文章をこれからも繰り返し書きそうな気がします。

シン:ちょっとしたら最後の生放送をするはずですが、また泣き出しそうですね。どうしたら良いでしょうか。

チョン:SHINeeで「大きなダム」を担当していらっしゃると。すごく泣くので。

キム:そうですね。最近は涙をあまり見せてませんでした。いろいろな理由がありますが、涙を見せると僕がすごく辛くなるので、個人的に。涙を見せることを怖がったり、悲しかったりはないです。人が感情表現するのはそういうものだと思いますが…。

シン:どうしたら良いでしょうか。

キム:実は、実感もあまりないです。

チョン:今日の放送内容は決まってるんでしょう?

キム:今日はリスナーからのメッセージ紹介をたくさんします。手紙の話もします。実は午前0時からの2時までする深夜放送は、情緒的で危ないと思うんです。感受性が現れる時間なので。僕もやはりそうですし。今日もおそらくそうでしょう。

チョン:さあ、僕らの쫑디(チョンディ)をどうしたら良いでしょうか。

キム:実は今スーツを着ているのも、僕なりの礼儀を整える方法です。今日の生放送をオープンスタジオでするんですが、リスナーの方たちがちょっとたくさんいらっしゃるんです。見えるラジオでするので。最後の挨拶を交わす時にちょっと着飾りたい気分でもあって、礼儀を整えているところです。


シン:幸せですか?デュオインタビュー、最後の質問です。

キム:幸せになろうとしています。最近、半年くらいいちばんたくさん考えました。幸せということ。僕は性向自体が自分自身を苦しめます。こんな人たちは、幸せになるのは簡単じゃないです。代わりに、成長はできますよ。

シン:これからは幸せになりながら、成長したいですね。

キム:何年か前に、お母さんのお姉ちゃんに泣きながら、駄々をこねたことがあります。お酒にものすごく酔って。お母さんとお姉ちゃんに聞いてみました。引っ越してからそんなに経ってない時だったんですね。幸せかと聞いてみました。お酒を飲んで、寝ている家族たちを起こして。おじさんみたいに。僕の人生でいちばんの目標だったんです。お母さんとお姉ちゃんが幸せなこと。ふたりとも寝て起きては幸せだと言っていたんです。でも、すごく羨ましいんです。幸せだと答えられることが。僕はそうじゃないのに。僕も幸せになりたい、そう言いながらわんわん泣きました。お母さんとお姉ちゃんに悪いことをしたと思いますが。その時から幸せに対してたくさん悩みましたね。約6ヶ月、僕はどうしたら幸せになれるのだろうかと具体的に悩んだんです。僕にとっては、その変化の時が来たみたいです。そろそろ幸せにならないといけないでしょう。幸せにならなければいけません。幸せになろうと思います。